エピソード3 「Again」

立岩 広人

 震災以降能登へ星空を撮りに行くことは殆どなかった。震災間もないころから実家の片付けや罹災証明等の手続きで何度も被災地に訪れた。地割れした道路に車が挟まれていたり、いたる道に段差が生じ、その影響でタイヤがパンクした車が何台も放置されていた。市街地に入れば真面に建っている家、電柱、標識、信号機が殆どなく、倒壊した建物が道路を塞いでいる。現実としてとても受け入れられず悪い夢を見てるようだった。このような状況でとてもカメラを出せないし、ましてや星空を撮影しようとなんて気も起らない。その9ヶ月後能登は更なる試練に見舞われる。


 令和6年晩秋に奥能登豪雨で被災した親戚を見舞いに輪島に訪れた。ボランティアに助けられ1階を埋め尽くしていた泥は取り除かれ、床下を乾かしている状況だった。「改修はまだまだ先になるが壁に飾る星空の写真、自分が子供の頃よく遊んだ鴨ヶ浦海岸のあの星空の写真が欲しい」と以前個展で展示していた作品を望まれた。
 泥に埋まった家を改修し真新しい壁に自分の写真を飾りたいと言われ、重い気持ちが少し楽になった。もちろん快諾した。そして今はとても星空を撮る気持ちにはなれないと話したところ「何で?どんどん撮って能登の綺麗な星空を皆に見せて!」


 令和7年5月28日 地震による崩落で大きく形を変えた見附島だったが、どっしりとした存在感と綺麗な星空は今までどおりだった。

 

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